ものすごい命題を

2002年6月15日
出してしまったんだろうか(笑)
ロジカルシンキングてむちゃニガテなんだよな〜
手に負えないの、覚悟でありんす。(ぇ


んと、考えてることはいっぱいあるんだけども
ちょっと忙しいんですー
引越しの準備がっ(;д;)

つーわけで、また
時間見つけてがんばりますっ
とりあえず、こうやって書いておこう!(>ω<)


+-+-+-+-+-+-+

いいもの見つけたー♪
友人のエッセイ。
ネットの人間関係が信用ならない、と主張/感じる人の言い分はだいたいこんなとこ?
 
 
◆仮想恋愛◆

 ネットで恋に落ちる。

 例えば私がネットの特定の友人(女性)に対して抱く「愛しい」という想いは、それがどんなに強くても恋愛感情では、無い。

 モニター越しの接触は、互いの良い部分、必要な部分以外、触れ合わす事は無い。それはとても居心地の良く、そしてひどく不完全な関係と言える。

 見えない部分。本人が意図して隠し、相手に露呈する事を嫌う部分を認め合えない関係では、自己愛の投影として摩り替えられたり、歪な自己満足が育ってしまったりする事がある。それを「愛」だと錯覚してしまう事は容易いが、決してそれを信用してはいけない。それを相手にも求めてはいけない。文字のやりとりだけで「愛」と錯覚する好意を抱くのは、やや早計ではないか?と思うのだ。
 もっとも、私は、「ネット恋愛」を否定しているわけではない。ネットでの“邂逅”を一つの恋愛の出会いの形として捉え、そこから≪生身のコミュニケーション≫へとスムーズに移行させる事が出来るなら、それはそれは素晴らしい事だと思うからだ。

 ただ、ネットでは嘘を言おうと思えばいくらでも言える世界である。
 ハンドルネームという仮面をかぶり、文章力(自己表現力)という正装を纏って参加する仮面舞踏会(表現が古いねどうも…)では、仮面を外す事は現実の生活を危険に晒す事になるからだ。嘘(偽り)は必要悪として機能し、それなくして心地良いコミュニケーションを取る術はないという奇異な世界なのだという認識を、常に胸に宿らせておかなければならないだろう。
 だからこそ、その仮面を外すリスクを負っても自分の「本当」を知って欲しいという出会いは、人を容易に惑わせるのかもしれない。

 自分の感覚を、あまり信用しない事だ。
 そして、過度な期待は持たない方が良い。勘違いを信じ込むと、そこには悲劇どころか喜劇が待っている。
 相手を思いやれない恋など、ただ醜悪なだけだ。
【1999.03.03(水)】

- - - - -

私とこの友人は、感性は合ってて、彼の言ってることもものすごく理解できる。
ただ、同じようなことを感じ、考えても、そのアウトプット(または、そこから進む方向性や結論)が違うだけなんだな。(’-’*)

どういう風に違ってくるかっての、書きたいと思うー
また。
もうちょい待ってて。(ぉぃ

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索