気持ちに深く沈んでいるもの(加筆)
2002年8月15日昨日、待ち時間が多かったせいでずっと本を読んでいたのだけど
その中に嫉妬のことについて書いてあった章があって、すごくインスパイアされしまった。
考え方そのものは私のとよく似ていて、目新しく発見、というわけでなく、
そうそう、そうだよねーやっぱりっ
同じ考えの人がいてよかった
という感じだったけれど、
読んでいるうちに、自分の気持ちの中に沈静していたものがゆっくり浮き上がってきた感じで
これはなんだろう、とゆっくり捕らえてみようと思いました。
(ちなみに山田詠美さんの本です。すきだなぁ)
その章では 男女間の嫉妬よりも、自意識における他者との比較(優越/劣等感)、同性に対しての対抗心、の方に重きをおいていて(というか、男女間のは別物、としたのね。・・わかる)
それを自分でコントロールすることができて 一人前、 みたいな。笑
自意識のぶつかりと、挫折や社会や環境との折衝や、そういうのを通して子供がもっている根拠のない(笑)全能感を覆し、自分の中身を作り替える、その作業こそが大人への変遷なんだ、と。
うん。
ほんとうに、自分の中身をそっくりひっくり返して、作り替える作業だよね。
私も、何度かしてきたように思う。
それで、今の私がいると思う。
本の中にあるような気持ちに苦しんで、あがいて己の醜さにますます苦しんだこともある。
で、それがどれほど醜いか、ということを自分で経験してはじめて、そこから抜け出すこともできるのだと思う。
一旦、自分で分析する力がつけば、そういうものは消化して、妬まない心をもつことができる。
・・・だから、もうそんな気持ちになることないと思っていたんだ。
だから、気づかなかった。
男女間の嫉妬の項に移ったとき、
相手の全てが自分に関わってないと我慢ができなくなる、という激しい愛し方のエピソードを読んでいるとき、
つと、自分の心の鏡を見つめてしまった。
ああ、あの時の、あの一瞬のもやっとしたの、
ちょっと変だな、おかしいなって思ったの、
あれってやきもちだったんだなぁ
って。
3人で遊ぶのは15日だけで、
14日の午前中は一人になるってわかってるなら
13はおうちでのんびりしてても、いいんじゃない?
その方が、旅先よりゆっくり休めるんじゃないの・・?
って。
そう思いたかったんだよ、きっと。
だけど、13から出発って聞いたときは、それがわからなくて、あれ?って感じてもそれがなぜなのか、どういうものなのか、言葉にならなくてわかんなかった。
ただ、なんとなく、
これは表面に出してはいけないものっ
っていう危険信号だけが瞬間的に伝わって、焦ってすぐに蓋を閉じてしまったんだ、きっと。
そう思ったのは。
・・会いたいんだ、きっと。
すごく気が合うって言ってたし。やっぱり楽しいんだと思う。一緒に時を過ごして。
私とじゃ得られない楽しさって、絶対あると思う。
どんな人といても、その人が生み出すものって、私とは違うもので、それぞれオリジナルで楽しいものだと思う。
それだって、味わいたいじゃん。やっぱ。(笑) 人生の醍醐味だよvv
そして、兄ちゃんは、彼女との空間が・・・すきなんだよね。
わかる。私も姐ちゃん大好きだし。
彼女のなんともいえない魅力ってば私も抗えない。虜になる。(笑)
一緒にいて気持ちいい人っている。
そしたらたくさん一緒にいたいし、楽しいよねv
(だけど二人きりだよ・・・えーんっ)
そう・・・知ってるから。
んで、姐ちゃんのそんな魅力には、どうしたって私適わないって思ってたりする。
だから、心配になっちゃうんだよね。
上の本の話に戻るけれど
嫉妬に苦しむ時、というのは、比較相手のことを、自分と同等、もしくは劣っていると思っていたのに
客観的な評価(成績やコンペティションや、美の絶対基準や、なにより好きな人の評価)で、自分の方が劣っていたと認めなければならなくなった時に、
その暗黒のような苦しみが生まれる。
だって自分が過大評価していた己の価値を、落としめなければいけないから。
その、自己評価を下げなきゃいけないのに、下げたくないという欲が(本能だろうなぁ・自分の遺伝子劣っているとは認めないようにできてるんだよ、きっと)、陵辱される苦しみになるんだと思う。
消化の仕方は簡単。
自分てば相手のこと見下していたのか、って気づけばいいだけだ。
心の奥のどこかでは優越感持ってたんだ、って気づくことは、己のさもしさ・卑しさへの反省に導くから、案外あっさりと受け入れられる。
(受け入れられない人は、まだまだ自我が強くて自己愛過多気味だから、もうちょっと修行しましょうね)
そしてね、立場の優位性がある。
恋人という立場、妻という立場、同期、だとか先輩、だとか
人がおかれているポジションというものには
"supposed to"というものがある。
んー’そうであるべき’、とか’〜とされている’、という前提とか設定上の条件みたいな。
あるいは単なる思い込み、偏見、偏狭さであることも多いけれど。
恋人の場合なら、相手が自分のことを一番に想っていてくれてるはずだ、という前提条件があって
だから、自分と会うよりも、他の人と楽しそうに、たくさん会いたがるのは間違ってる、と思いたがる。
そして、それによって自分の立場が脅かされる、と不安を呼びこんでしまう偏狭さ。
・・・そういうものが嫉妬の正体だと思う。
(あでも、”どーしてもゼッタイに嫌!”っていうのも・・・あるよね、ほんとに。理屈抜きで、もやもやざわざわっっってやつ。ふぅ。。
それが男女間の嫉妬を別物にしてるモトかなぁ。。。苦笑)
んでね。
無邪気にその立場上の前提を絶対普遍の真理だと思い込んで、自分の権利を主張しちゃえるイノセントな人なら、どんどん強気に出れるんだろうけど。
・・・私だし。(何
基本的に、兄さんにどんなものを与えてあげられるかってことにおいて
自分が優っているものなんて・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
滅。
っていう貧弱な自信しかないんだよ?
つまり、私は誰に対しても優位にある、なんて思えなくて、
むしろ、他の人の方がたくさん喜びや楽しみを与えてあげられるだろう、て今でもしつこく感じていて、
それゆえ、覆されそうで苦しむ、というのは皆無に近くて。
だけど、ない自信がますます揺らぐだけなんだ。(-ω-、)
自分に足りないもの(そして他の人がもっていて兄さんに与えてあげられるもの)を、つい数え上げてしまうのかもしれない。
私は未だに失うことへの怖れ、に一番身が竦んでしまう。
*また字数制限引っかかったので続きは下に*
その中に嫉妬のことについて書いてあった章があって、すごくインスパイアされしまった。
考え方そのものは私のとよく似ていて、目新しく発見、というわけでなく、
そうそう、そうだよねーやっぱりっ
同じ考えの人がいてよかった
という感じだったけれど、
読んでいるうちに、自分の気持ちの中に沈静していたものがゆっくり浮き上がってきた感じで
これはなんだろう、とゆっくり捕らえてみようと思いました。
(ちなみに山田詠美さんの本です。すきだなぁ)
その章では 男女間の嫉妬よりも、自意識における他者との比較(優越/劣等感)、同性に対しての対抗心、の方に重きをおいていて(というか、男女間のは別物、としたのね。・・わかる)
それを自分でコントロールすることができて 一人前、 みたいな。笑
自意識のぶつかりと、挫折や社会や環境との折衝や、そういうのを通して子供がもっている根拠のない(笑)全能感を覆し、自分の中身を作り替える、その作業こそが大人への変遷なんだ、と。
うん。
ほんとうに、自分の中身をそっくりひっくり返して、作り替える作業だよね。
私も、何度かしてきたように思う。
それで、今の私がいると思う。
本の中にあるような気持ちに苦しんで、あがいて己の醜さにますます苦しんだこともある。
で、それがどれほど醜いか、ということを自分で経験してはじめて、そこから抜け出すこともできるのだと思う。
一旦、自分で分析する力がつけば、そういうものは消化して、妬まない心をもつことができる。
・・・だから、もうそんな気持ちになることないと思っていたんだ。
だから、気づかなかった。
男女間の嫉妬の項に移ったとき、
相手の全てが自分に関わってないと我慢ができなくなる、という激しい愛し方のエピソードを読んでいるとき、
つと、自分の心の鏡を見つめてしまった。
ああ、あの時の、あの一瞬のもやっとしたの、
ちょっと変だな、おかしいなって思ったの、
あれってやきもちだったんだなぁ
って。
3人で遊ぶのは15日だけで、
14日の午前中は一人になるってわかってるなら
13はおうちでのんびりしてても、いいんじゃない?
その方が、旅先よりゆっくり休めるんじゃないの・・?
って。
そう思いたかったんだよ、きっと。
だけど、13から出発って聞いたときは、それがわからなくて、あれ?って感じてもそれがなぜなのか、どういうものなのか、言葉にならなくてわかんなかった。
ただ、なんとなく、
これは表面に出してはいけないものっ
っていう危険信号だけが瞬間的に伝わって、焦ってすぐに蓋を閉じてしまったんだ、きっと。
そう思ったのは。
・・会いたいんだ、きっと。
すごく気が合うって言ってたし。やっぱり楽しいんだと思う。一緒に時を過ごして。
私とじゃ得られない楽しさって、絶対あると思う。
どんな人といても、その人が生み出すものって、私とは違うもので、それぞれオリジナルで楽しいものだと思う。
それだって、味わいたいじゃん。やっぱ。(笑) 人生の醍醐味だよvv
そして、兄ちゃんは、彼女との空間が・・・すきなんだよね。
わかる。私も姐ちゃん大好きだし。
彼女のなんともいえない魅力ってば私も抗えない。虜になる。(笑)
一緒にいて気持ちいい人っている。
そしたらたくさん一緒にいたいし、楽しいよねv
(だけど二人きりだよ・・・えーんっ)
そう・・・知ってるから。
んで、姐ちゃんのそんな魅力には、どうしたって私適わないって思ってたりする。
だから、心配になっちゃうんだよね。
上の本の話に戻るけれど
嫉妬に苦しむ時、というのは、比較相手のことを、自分と同等、もしくは劣っていると思っていたのに
客観的な評価(成績やコンペティションや、美の絶対基準や、なにより好きな人の評価)で、自分の方が劣っていたと認めなければならなくなった時に、
その暗黒のような苦しみが生まれる。
だって自分が過大評価していた己の価値を、落としめなければいけないから。
その、自己評価を下げなきゃいけないのに、下げたくないという欲が(本能だろうなぁ・自分の遺伝子劣っているとは認めないようにできてるんだよ、きっと)、陵辱される苦しみになるんだと思う。
消化の仕方は簡単。
自分てば相手のこと見下していたのか、って気づけばいいだけだ。
心の奥のどこかでは優越感持ってたんだ、って気づくことは、己のさもしさ・卑しさへの反省に導くから、案外あっさりと受け入れられる。
(受け入れられない人は、まだまだ自我が強くて自己愛過多気味だから、もうちょっと修行しましょうね)
そしてね、立場の優位性がある。
恋人という立場、妻という立場、同期、だとか先輩、だとか
人がおかれているポジションというものには
"supposed to"というものがある。
んー’そうであるべき’、とか’〜とされている’、という前提とか設定上の条件みたいな。
あるいは単なる思い込み、偏見、偏狭さであることも多いけれど。
恋人の場合なら、相手が自分のことを一番に想っていてくれてるはずだ、という前提条件があって
だから、自分と会うよりも、他の人と楽しそうに、たくさん会いたがるのは間違ってる、と思いたがる。
そして、それによって自分の立場が脅かされる、と不安を呼びこんでしまう偏狭さ。
・・・そういうものが嫉妬の正体だと思う。
(あでも、”どーしてもゼッタイに嫌!”っていうのも・・・あるよね、ほんとに。理屈抜きで、もやもやざわざわっっってやつ。ふぅ。。
それが男女間の嫉妬を別物にしてるモトかなぁ。。。苦笑)
んでね。
無邪気にその立場上の前提を絶対普遍の真理だと思い込んで、自分の権利を主張しちゃえるイノセントな人なら、どんどん強気に出れるんだろうけど。
・・・私だし。(何
基本的に、兄さんにどんなものを与えてあげられるかってことにおいて
自分が優っているものなんて・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
滅。
っていう貧弱な自信しかないんだよ?
つまり、私は誰に対しても優位にある、なんて思えなくて、
むしろ、他の人の方がたくさん喜びや楽しみを与えてあげられるだろう、て今でもしつこく感じていて、
それゆえ、覆されそうで苦しむ、というのは皆無に近くて。
だけど、ない自信がますます揺らぐだけなんだ。(-ω-、)
自分に足りないもの(そして他の人がもっていて兄さんに与えてあげられるもの)を、つい数え上げてしまうのかもしれない。
私は未だに失うことへの怖れ、に一番身が竦んでしまう。
*また字数制限引っかかったので続きは下に*
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