甘え上手*甘えんぼ*甘ったれ。。?
2002年10月4日あなたは甘え上手?
て訊かれた時、
「ハイ、そうなんです」と屈託なく答えられる人は・・・そう多くないような気がする(笑)
甘えんぼ?
って訊かれたら
女の子の一部は頬染めて頷くかもしれないけど
男の人だったら首をぶんぶん振る勢いで否定しそう。(笑)
・・・実際、甘えんぼなのは男の人の方だと思うけどv(ぉ
甘ったれ?
って言われてむっとしない人はいないと思う。
だけどほんとは、結構私達みんな甘ったれて生きてると思う。
甘えるってなんだろう。
定義しようと思うとむつかしい言葉だ。説明つかない。
日本語独特で、英語とかにしようと思うとうーん、と悩んでしまう。
だからこそ日本人独特の精神性なのかな・・・?なんて思ったりも。
中国や韓国人には似たような精神性があるような気がするんだけど、アジア特有かな。どうなのかな。。
(他言語・文化でぴったりくるのがあるよ〜て方ぜひ教えてくださいませvv)
日本人の精神性の中に「甘え」というものがある、というのは文化人類学や比較文化学の研究などで指摘されているので(土居 健郎『甘えの構造』等)
特には耳新しくないと思うけれど、その意味するところをちゃんと掴んでる人はどのくらいいるのかな?
・・・他言語他文化などで壁にぶち当たったら、気付く時も多かったりする。(笑)
他の種類の精神性を知って、はじめて自分が今まで浸かっていたものに改めて目が行くというか。
ふつ〜私たちが日常会話的に使ってる「甘える」ていうのは
例えば
「パパぁ、あれ買って〜vv」っていうイメージなのではないかしら(笑)
媚びを売って、見返りを手に入れる、みたいな。
【おお、ちゃんと売買が成立してゐるではないか。(笑)】
媚びを売るのは潔しとしない女性とか、大方の男性は
だから自分は甘えたりしない、て思ってるかもしれないけど
んと、実は、甘えは見えないところにこそ存在してるのデス。
というのは、日本語の構造がそうなっているらしいのです。だからそれらを毎日使ってコミュニケーションしてる私たちは、望むと望まざると関わらず、その構造にがんじがらめになってるわけで。
「こんにちわ。今日はいい天気ですね」
「とんでもない!そんなことあるもんですか。日差しは強くて紫外線が刺してくるわで、まったくいいことなんでかけらもないですよ!」
と返されたら日本人ならびっくりして、そしてめげたり傷ついたりするでしょう(笑)
無意識下に、相手に同意を求める心が働いているからだそうです。
・・・どうして相手が自分と同じように感じなければならない、と期待するのでしょうか。
「こないだの台風うちの周りすごくって、帰りの電車は遅れるし夜は暴風雨ですっごく怖かった〜」
「ふーん、でも19XX年の大型台風の方がすごかったし、被害大きかったし。
そういやインドで震度7の地震てやってたよ。カナダでは洪水だって。ニュースで」
・・・なぜ相手が自分の不運に同情しなければならない、と期待するんでしょうか。
(あ、でもこのテの不幸ジマンて言語関係ないよな気もする。ハハ)
和を以って尊しとせよ、と協調性を大事にしてきた日本人だけども
そのせいか、同意をしてもらうことを目的にして会話をするという文化を育てあげてきたように思う。
否定疑問文が良い例ですよね。
”また宿題しなかったんでしょ!?”
”うん、しなかったよ。ううん、したよ!あ、う…ううん…”(どっちやねーんっ
むやみに同意することだけが和をもたらす、というわけじゃない。
なのに、なぜ自分に同調してもらうことを期待するのだろう。
期待が裏切られたら、傷ついたり腹を立てたりするのだろう?
いや、上2つの例はやっぱりへそ曲がりで愛想の悪い性質の答えだと思いますけど(笑)、
それが返って来たときに、むっとしてしまうことが、甘えがあったという証拠なんです。
NO!と言わない日本とか言われてた気がしますが
NO!という言葉に(言われた時に)必要以上の拒絶感と失望を感じとってしまう文化所以なんじゃないかと思ったりします。
(頭抱えてオー!ノー!とはよくいうんですけどね。寒)
なんだか話を大きくしてしまって、今自分で焦ってますけど(滝汗
絞ります。
引用をさせてください。
日本では人にものを頼む時、無意識のうちに甘えの気持ちが先立って
「あなたの助けなしにはどうにもなりませんから、ぜひお願いします」
という感じで依頼するので、頼まれた方も断りにくい。
したがって軽々しくものを頼まないようにするし、軽々しく断らないようにする。
(引用先がちょっと複雑なので知りたい方はご一報くださいませ。謝)
最近ではビジネス分野においてはこういうことも少なくなってきたと聞きますが
それ以外では・・・どうでしょう。
胸に手を当てて考えてみる。
・・・・・・・イタタタタ(爆
ここまでこんな話をひっぱってきたのは、実は先日の恋人に対して甘える、というの、
恐る恐る使ってみたけれどやっぱり語弊があったかな〜と思っちゃったので。
あなたは私の恋人なんだから、ある程度は私の要求呑むでしょ!?
との無意識な期待が
許される、って前提にあるのが家族や恋人、近しい人・・・かなぁ?と。
昨日上げた6つのカギカッコは、そういう心理が底に働いてるんじゃないのかな・・・
それ、普通に、友達や同僚や知り合いやったらつまはじきですよね。(笑)
だけど恋人になら、そやって少しは期待することが許される・・・
自分を受け入れてくれた人、受け入れてあげたいし。
だけど期待ばっかされたら食傷するのも人間心理の綾だったり。(笑)
だから期待しすぎ、エゴ全部の押し付け合いになったら・・・
という話だったのかも?(笑)
そして日本人の甘えに戻ります。
親しき中にも礼儀アリといいますが。
親しいほど礼儀ないのはどうしてでせうか。
これくらいなら許してもらえるでしょ。
いいじゃん、ちょっとくらい見逃してよ。
あ、これ言わなくて済むや。(言わなくても理解してよ)
こんなのしてくれて当然でしょ。
なんだってそんなに私のこと解ってないのよ!(The ヒスモード)
家族や恋人にばっかり、こういう要求してます・・・よね(大滝汗
私たちは初対面の人や仕事の付き合いの人や、それほど親しくない人に対しては
気を使って、丁寧に丁重に気持ちを損ねないように扱うのに
どうして一番大切にしなくてはならないはずの相手に対して・・・
礼儀というと敬語で話したり、立ち入らない、ということだと解釈されるかもしれませんが
もともとは相手に不快感を与えない、ということに始まったんだと思います。
無意識の期待を増大させるのは、相手への負担を増すってことで、
それは、ほんとに相手を思いやってるのかなぁ・・?
親しいから、思いやりなくてもOKだわ、っていうのが親しさ、なら
愛ってなに?(漠
愛するってどういうこと?
自分に都合のよい、心地よい状態を維持すること・・・?
負担を負担と思わなくするよう脳内麻薬を出すこと?(シニカル・笑
日本語ではコトバを丁寧にすれば礼儀正しい印象を与えるかもしれませんが
英語のPoliteness(丁寧さ)は、=相手に心配りをする言動 を指してます。
言葉を丁寧にするのが求められてる礼儀じゃないですよね。(^-^)
口語や身内語で話すのは二人の心理的距離を縮めるけれど、ぶっきらぼうな言葉で話してても、心配りはできると思う。
日本語での会話が期待に満ちてても(笑)、お願いごとばっかりでも
無意識の負担を押しつけないで思いやれる方法があるはずだと思う。
だけどちっとも期待されない、お願いされないのも、さみしかったりもするもんだから(笑)
だから、バランスが取れてるといいよね、って言いました。(^-^)
好きな人の為に、やっぱり何かしてあげたいもの。
自分が相手の役に立つのなら、それは何よりの喜びなのだもの。
そーゆーわけで甘えるってことについて考えてみたのだけど。。。
だけど、やっぱりそれだけじゃない気も?(漠
甘えんぼが相手にごろにゃんvvってするのも「甘える」で。
甘ったれ、ていうのはまた別の精神性とも言える気がするし。
それら全てを含んでいるような気もするし。
やっぱりこの言葉むつかしい。
私自身もわかってなかったりします。(ぇ
やっぱりエッセイには向きません、私(涙
丁寧に読んでくれた方、混乱させてしまったらごめんなさい。
やはり明日からは、らぶらぶ日記に戻りたいと思います。すんすん(ノω・、)
週末だし、少しは時間も多めに取れる…かもしれないし(汗
たくさん”甘え”させてもらおー♪
・・・・・・・・ん?(笑)
て訊かれた時、
「ハイ、そうなんです」と屈託なく答えられる人は・・・そう多くないような気がする(笑)
甘えんぼ?
って訊かれたら
女の子の一部は頬染めて頷くかもしれないけど
男の人だったら首をぶんぶん振る勢いで否定しそう。(笑)
・・・実際、甘えんぼなのは男の人の方だと思うけどv(ぉ
甘ったれ?
って言われてむっとしない人はいないと思う。
だけどほんとは、結構私達みんな甘ったれて生きてると思う。
甘えるってなんだろう。
定義しようと思うとむつかしい言葉だ。説明つかない。
日本語独特で、英語とかにしようと思うとうーん、と悩んでしまう。
だからこそ日本人独特の精神性なのかな・・・?なんて思ったりも。
中国や韓国人には似たような精神性があるような気がするんだけど、アジア特有かな。どうなのかな。。
(他言語・文化でぴったりくるのがあるよ〜て方ぜひ教えてくださいませvv)
日本人の精神性の中に「甘え」というものがある、というのは文化人類学や比較文化学の研究などで指摘されているので(土居 健郎『甘えの構造』等)
特には耳新しくないと思うけれど、その意味するところをちゃんと掴んでる人はどのくらいいるのかな?
・・・他言語他文化などで壁にぶち当たったら、気付く時も多かったりする。(笑)
他の種類の精神性を知って、はじめて自分が今まで浸かっていたものに改めて目が行くというか。
ふつ〜私たちが日常会話的に使ってる「甘える」ていうのは
例えば
「パパぁ、あれ買って〜vv」っていうイメージなのではないかしら(笑)
媚びを売って、見返りを手に入れる、みたいな。
【おお、ちゃんと売買が成立してゐるではないか。(笑)】
媚びを売るのは潔しとしない女性とか、大方の男性は
だから自分は甘えたりしない、て思ってるかもしれないけど
んと、実は、甘えは見えないところにこそ存在してるのデス。
というのは、日本語の構造がそうなっているらしいのです。だからそれらを毎日使ってコミュニケーションしてる私たちは、望むと望まざると関わらず、その構造にがんじがらめになってるわけで。
「こんにちわ。今日はいい天気ですね」
「とんでもない!そんなことあるもんですか。日差しは強くて紫外線が刺してくるわで、まったくいいことなんでかけらもないですよ!」
と返されたら日本人ならびっくりして、そしてめげたり傷ついたりするでしょう(笑)
無意識下に、相手に同意を求める心が働いているからだそうです。
・・・どうして相手が自分と同じように感じなければならない、と期待するのでしょうか。
「こないだの台風うちの周りすごくって、帰りの電車は遅れるし夜は暴風雨ですっごく怖かった〜」
「ふーん、でも19XX年の大型台風の方がすごかったし、被害大きかったし。
そういやインドで震度7の地震てやってたよ。カナダでは洪水だって。ニュースで」
・・・なぜ相手が自分の不運に同情しなければならない、と期待するんでしょうか。
(あ、でもこのテの不幸ジマンて言語関係ないよな気もする。ハハ)
和を以って尊しとせよ、と協調性を大事にしてきた日本人だけども
そのせいか、同意をしてもらうことを目的にして会話をするという文化を育てあげてきたように思う。
否定疑問文が良い例ですよね。
”また宿題しなかったんでしょ!?”
”うん、しなかったよ。ううん、したよ!あ、う…ううん…”(どっちやねーんっ
むやみに同意することだけが和をもたらす、というわけじゃない。
なのに、なぜ自分に同調してもらうことを期待するのだろう。
期待が裏切られたら、傷ついたり腹を立てたりするのだろう?
いや、上2つの例はやっぱりへそ曲がりで愛想の悪い性質の答えだと思いますけど(笑)、
それが返って来たときに、むっとしてしまうことが、甘えがあったという証拠なんです。
NO!と言わない日本とか言われてた気がしますが
NO!という言葉に(言われた時に)必要以上の拒絶感と失望を感じとってしまう文化所以なんじゃないかと思ったりします。
(頭抱えてオー!ノー!とはよくいうんですけどね。寒)
なんだか話を大きくしてしまって、今自分で焦ってますけど(滝汗
絞ります。
引用をさせてください。
日本では人にものを頼む時、無意識のうちに甘えの気持ちが先立って
「あなたの助けなしにはどうにもなりませんから、ぜひお願いします」
という感じで依頼するので、頼まれた方も断りにくい。
したがって軽々しくものを頼まないようにするし、軽々しく断らないようにする。
(引用先がちょっと複雑なので知りたい方はご一報くださいませ。謝)
最近ではビジネス分野においてはこういうことも少なくなってきたと聞きますが
それ以外では・・・どうでしょう。
胸に手を当てて考えてみる。
・・・・・・・イタタタタ(爆
ここまでこんな話をひっぱってきたのは、実は先日の恋人に対して甘える、というの、
恐る恐る使ってみたけれどやっぱり語弊があったかな〜と思っちゃったので。
あなたは私の恋人なんだから、ある程度は私の要求呑むでしょ!?
との無意識な期待が
許される、って前提にあるのが家族や恋人、近しい人・・・かなぁ?と。
昨日上げた6つのカギカッコは、そういう心理が底に働いてるんじゃないのかな・・・
それ、普通に、友達や同僚や知り合いやったらつまはじきですよね。(笑)
だけど恋人になら、そやって少しは期待することが許される・・・
自分を受け入れてくれた人、受け入れてあげたいし。
だけど期待ばっかされたら食傷するのも人間心理の綾だったり。(笑)
だから期待しすぎ、エゴ全部の押し付け合いになったら・・・
という話だったのかも?(笑)
そして日本人の甘えに戻ります。
親しき中にも礼儀アリといいますが。
親しいほど礼儀ないのはどうしてでせうか。
これくらいなら許してもらえるでしょ。
いいじゃん、ちょっとくらい見逃してよ。
あ、これ言わなくて済むや。(言わなくても理解してよ)
こんなのしてくれて当然でしょ。
なんだってそんなに私のこと解ってないのよ!(The ヒスモード)
家族や恋人にばっかり、こういう要求してます・・・よね(大滝汗
私たちは初対面の人や仕事の付き合いの人や、それほど親しくない人に対しては
気を使って、丁寧に丁重に気持ちを損ねないように扱うのに
どうして一番大切にしなくてはならないはずの相手に対して・・・
礼儀というと敬語で話したり、立ち入らない、ということだと解釈されるかもしれませんが
もともとは相手に不快感を与えない、ということに始まったんだと思います。
無意識の期待を増大させるのは、相手への負担を増すってことで、
それは、ほんとに相手を思いやってるのかなぁ・・?
親しいから、思いやりなくてもOKだわ、っていうのが親しさ、なら
愛ってなに?(漠
愛するってどういうこと?
自分に都合のよい、心地よい状態を維持すること・・・?
負担を負担と思わなくするよう脳内麻薬を出すこと?(シニカル・笑
日本語ではコトバを丁寧にすれば礼儀正しい印象を与えるかもしれませんが
英語のPoliteness(丁寧さ)は、=相手に心配りをする言動 を指してます。
言葉を丁寧にするのが求められてる礼儀じゃないですよね。(^-^)
口語や身内語で話すのは二人の心理的距離を縮めるけれど、ぶっきらぼうな言葉で話してても、心配りはできると思う。
日本語での会話が期待に満ちてても(笑)、お願いごとばっかりでも
無意識の負担を押しつけないで思いやれる方法があるはずだと思う。
だけどちっとも期待されない、お願いされないのも、さみしかったりもするもんだから(笑)
だから、バランスが取れてるといいよね、って言いました。(^-^)
好きな人の為に、やっぱり何かしてあげたいもの。
自分が相手の役に立つのなら、それは何よりの喜びなのだもの。
そーゆーわけで甘えるってことについて考えてみたのだけど。。。
だけど、やっぱりそれだけじゃない気も?(漠
甘えんぼが相手にごろにゃんvvってするのも「甘える」で。
甘ったれ、ていうのはまた別の精神性とも言える気がするし。
それら全てを含んでいるような気もするし。
やっぱりこの言葉むつかしい。
私自身もわかってなかったりします。(ぇ
やっぱりエッセイには向きません、私(涙
丁寧に読んでくれた方、混乱させてしまったらごめんなさい。
やはり明日からは、らぶらぶ日記に戻りたいと思います。すんすん(ノω・、)
週末だし、少しは時間も多めに取れる…かもしれないし(汗
たくさん”甘え”させてもらおー♪
・・・・・・・・ん?(笑)
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