言葉にならない気持ち
2002年11月10日またジョイントしちゃおう♪
いつも読む日記の姉さまがまたとても面白い話題を振って下さって、私は感心することしきり。
で、また便乗させていただきたく思ったのだけど
今日のキーワードはこれでした。
「言いたい事をちゃんと言う訓練」ってニガテ。
これね〜!
みーんなそうだよねっ!?
誰も彼もみんな足りないって思う、私はっ(笑)
たまにすぅごく上手な人がいるけれど。
そんな人は自覚を持って言葉の表現をブラッシュアップしてきたか、
よっぽど上手に、受け入れられて育ってきたんだろうな〜って窺えるくらいで
うまく気持ちを表すことのできる人ってほんと稀だと思う・・・
今まで育ってきた中でいっぱい制約受けてきたと思う。
小さい時って語彙が圧倒的に足りなくってうまく言えないし(そしたら聞いてもらえないし)
成長過程で、家庭や学校でどうしても抑えつけられてしまうところはあるし
長男/女だったり(笑)、言わなくてもすむ環境だったり、親や上司や周りの人に否定され続けたり・・・
そういう経験を積むと、自然にもうなにも言わなくなってしまうんだと思う。
そしたらね、今度は”言葉にしなきゃ”って時に、その術を「失っている」ことに気付くんだ。
しようと思ってもできないんだよ。
私は何年かほとんどしゃべらない時期があったのだけど
そうしたら、今度’話さなきゃ解ってもらえない’て時に
伝えたいのに伝えられない、言葉にならない出てこない、結果として口が動かない、というジレンマを味わいました。
結果として学んだことは
「ちゃんと伝える為には訓練がいる」ってことでし。
違う言語で暮らしてたりすると言葉を操る能力って使わないとすぐに(それはもうすぐに)廃れるって自覚できるし
こちらのなんでも言葉で確認する文化にいると「言葉にして伝える」ということの重要性をあらゆるところで噛み締めてしまう。
(またこれに結びつけて安直なって気がするけど、でも私の場合そうなんだから仕方ない。
他のものによって気付く人ももちろんいると思う。素晴らしいと思う)
・・・めんどくさいときもあるけど。(笑)
面倒だし、できなくなっちゃうし、力使い果たしちゃうし、失敗もいっぱいするし、わからなくなってくるし、
だからますます混乱して、自分でカンシャクもおこしちゃうし、
「伝わらないんなら、もういい!」って放り出したくなっちゃうけれど
でもそこで投げ出すと、ますます伝える能力は衰えていって、きっと一生誰にも伝わらない。
「不器用だから」で逃げてもいいけど、逃げても誰も助けてくれないし。 ←あ、よっぽど忍耐力のあるよい相手にでも出会わない限り。
いつだか、礼儀正しいということは相手を思いやるということだと書いたけれど
言葉で伝えてあげることも、思いやりに繋がるということを学んだ。
自分がどう思ってるか、どう感じているか、嬉しかった悲しかった、
またはどんな状況で手一杯なんだ、とか疲れているから明日にしてくれとか、
わからないなら”わからない”と、傷ついたなら’傷ついた’と、
言ってあげる事が相手の心労を減らすことになって、結果的に自分の煩わしさより相手の心の安定を尊重することになる。
私はそういう心栄えをうつくしいと思う。
そこで ”なんでも思ったことそのまま言っていい”、というのとは違うってこともすぐ気付くと思う。(笑)
周りにいるいやなヒトを思い浮かべたらすぐわかるでしょ?(ぉ
彼らも、訓練してこなかったからああなのじゃないかなぁ。
ほんとーは違う!こんなこと言いたいのじゃないのにって思う心も持ってるかもしれないです。
でも、それ伝えられなかったらやっぱり人に’嫌だな’、て感情を喚起してしまうわけで。
それしかできなかったらその人はやっぱり「子供レベル・未熟」ってレッテル貼られると思う。
「もういいよ、ばか!」 と言う代わりに
「ごめん、うまく言えない、でも何か違うって感じた。今ずきってした。それ言って欲しくなかった」 と言えるのがテクニックで。
この後の方を一次感情っていい、それは率直に表現すればいつでも相手に届くものだ。
でも最初の二次感情ばかりを出していると、人は遠ざかっていく。
(一次/二次感情のわかりやすくて感動的なお話は
こちら ttp://www.asahi.com/paper/aic/Mon/d_aera/20000626.html)
けれど、私達ってこの伝わりにくい方ばかりを出してしまいがち。。。だと思う。
なぜだかわからない。人間ってそういうものなのかもしれない(ノω・、)
だけど、そのままでいたらあらゆる関係は破綻するしかないって思うから、やっぱり訓練て必要なんじゃないかと思うんだ。
それは磨かないと、毎日鍛錬していかないと身につかないものなんだ。
アタマの中でシミュレーションしてもだめ。いくら小説や映画で勉強してもだめ。
実践しないと口は動かないょ。
主義として言わないでいる人もいると思うけれど、でもやっぱり必要な時に出てくるためには、練習は要る。
私は実経験から、そう強く思ってる。
・・・ま、代用するテクニックを持ってる方はそれでもいいと思いますけれど。。。
そしてね、逆もありえると思います。
相手が伝えきれなくて困ってるな〜て思ったときに。
「言ってみて?」と問えるのはさらにすばらしいと思います。
忍耐強くなだめたりすかしたりおだてたりふーふーしたり(?)なでなでしなきゃいけないと思いますけれど。
そのめんどくさいことしてくれる、できる人ってすごいな〜と思います。
だって普通は突き放しか放置か逆ギレとかだもん。(笑)
自分がそういう時はしてほしいな〜って思うから
私も人にそうでありたいと心がけてます。
+ + +
でも↑はある年齢以上の方へは到底受けつけない考えかもしれません。
昔からあるように、以心伝心、魚心あれば水心、阿うんの呼吸、山といえば川(違)、そういうのが絆や愛の深さだ〜って
それもある意味そうかもしれないです。
でも手抜きや怠惰さと一緒にしてはほしくないですけれど。
人に心を踏み込まれたくない人は…それが心地よいと思う。
そういう面での二人のバランスが、取れてると・・・いいですね。
◇勢いで書上げたので整ってないかも不備あるかも後で修正するかもです。ご指摘嬉しいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その他 とても切ない寂しいって想ったことがあったけど
。。。今日はもう書かなくてもいいかな。。。
ひとりこの想いをぎゅっと抱きしめることにしますv
いつも読む日記の姉さまがまたとても面白い話題を振って下さって、私は感心することしきり。
で、また便乗させていただきたく思ったのだけど
今日のキーワードはこれでした。
「言いたい事をちゃんと言う訓練」ってニガテ。
これね〜!
みーんなそうだよねっ!?
誰も彼もみんな足りないって思う、私はっ(笑)
たまにすぅごく上手な人がいるけれど。
そんな人は自覚を持って言葉の表現をブラッシュアップしてきたか、
よっぽど上手に、受け入れられて育ってきたんだろうな〜って窺えるくらいで
うまく気持ちを表すことのできる人ってほんと稀だと思う・・・
今まで育ってきた中でいっぱい制約受けてきたと思う。
小さい時って語彙が圧倒的に足りなくってうまく言えないし(そしたら聞いてもらえないし)
成長過程で、家庭や学校でどうしても抑えつけられてしまうところはあるし
長男/女だったり(笑)、言わなくてもすむ環境だったり、親や上司や周りの人に否定され続けたり・・・
そういう経験を積むと、自然にもうなにも言わなくなってしまうんだと思う。
そしたらね、今度は”言葉にしなきゃ”って時に、その術を「失っている」ことに気付くんだ。
しようと思ってもできないんだよ。
私は何年かほとんどしゃべらない時期があったのだけど
そうしたら、今度’話さなきゃ解ってもらえない’て時に
伝えたいのに伝えられない、言葉にならない出てこない、結果として口が動かない、というジレンマを味わいました。
結果として学んだことは
「ちゃんと伝える為には訓練がいる」ってことでし。
違う言語で暮らしてたりすると言葉を操る能力って使わないとすぐに(それはもうすぐに)廃れるって自覚できるし
こちらのなんでも言葉で確認する文化にいると「言葉にして伝える」ということの重要性をあらゆるところで噛み締めてしまう。
(またこれに結びつけて安直なって気がするけど、でも私の場合そうなんだから仕方ない。
他のものによって気付く人ももちろんいると思う。素晴らしいと思う)
・・・めんどくさいときもあるけど。(笑)
面倒だし、できなくなっちゃうし、力使い果たしちゃうし、失敗もいっぱいするし、わからなくなってくるし、
だからますます混乱して、自分でカンシャクもおこしちゃうし、
「伝わらないんなら、もういい!」って放り出したくなっちゃうけれど
でもそこで投げ出すと、ますます伝える能力は衰えていって、きっと一生誰にも伝わらない。
「不器用だから」で逃げてもいいけど、逃げても誰も助けてくれないし。 ←あ、よっぽど忍耐力のあるよい相手にでも出会わない限り。
いつだか、礼儀正しいということは相手を思いやるということだと書いたけれど
言葉で伝えてあげることも、思いやりに繋がるということを学んだ。
自分がどう思ってるか、どう感じているか、嬉しかった悲しかった、
またはどんな状況で手一杯なんだ、とか疲れているから明日にしてくれとか、
わからないなら”わからない”と、傷ついたなら’傷ついた’と、
言ってあげる事が相手の心労を減らすことになって、結果的に自分の煩わしさより相手の心の安定を尊重することになる。
私はそういう心栄えをうつくしいと思う。
そこで ”なんでも思ったことそのまま言っていい”、というのとは違うってこともすぐ気付くと思う。(笑)
周りにいるいやなヒトを思い浮かべたらすぐわかるでしょ?(ぉ
彼らも、訓練してこなかったからああなのじゃないかなぁ。
ほんとーは違う!こんなこと言いたいのじゃないのにって思う心も持ってるかもしれないです。
でも、それ伝えられなかったらやっぱり人に’嫌だな’、て感情を喚起してしまうわけで。
それしかできなかったらその人はやっぱり「子供レベル・未熟」ってレッテル貼られると思う。
「もういいよ、ばか!」 と言う代わりに
「ごめん、うまく言えない、でも何か違うって感じた。今ずきってした。それ言って欲しくなかった」 と言えるのがテクニックで。
この後の方を一次感情っていい、それは率直に表現すればいつでも相手に届くものだ。
でも最初の二次感情ばかりを出していると、人は遠ざかっていく。
(一次/二次感情のわかりやすくて感動的なお話は
こちら ttp://www.asahi.com/paper/aic/Mon/d_aera/20000626.html)
けれど、私達ってこの伝わりにくい方ばかりを出してしまいがち。。。だと思う。
なぜだかわからない。人間ってそういうものなのかもしれない(ノω・、)
だけど、そのままでいたらあらゆる関係は破綻するしかないって思うから、やっぱり訓練て必要なんじゃないかと思うんだ。
それは磨かないと、毎日鍛錬していかないと身につかないものなんだ。
アタマの中でシミュレーションしてもだめ。いくら小説や映画で勉強してもだめ。
実践しないと口は動かないょ。
主義として言わないでいる人もいると思うけれど、でもやっぱり必要な時に出てくるためには、練習は要る。
私は実経験から、そう強く思ってる。
・・・ま、代用するテクニックを持ってる方はそれでもいいと思いますけれど。。。
そしてね、逆もありえると思います。
相手が伝えきれなくて困ってるな〜て思ったときに。
「言ってみて?」と問えるのはさらにすばらしいと思います。
忍耐強くなだめたりすかしたりおだてたりふーふーしたり(?)なでなでしなきゃいけないと思いますけれど。
そのめんどくさいことしてくれる、できる人ってすごいな〜と思います。
だって普通は突き放しか放置か逆ギレとかだもん。(笑)
自分がそういう時はしてほしいな〜って思うから
私も人にそうでありたいと心がけてます。
+ + +
でも↑はある年齢以上の方へは到底受けつけない考えかもしれません。
昔からあるように、以心伝心、魚心あれば水心、阿うんの呼吸、山といえば川(違)、そういうのが絆や愛の深さだ〜って
それもある意味そうかもしれないです。
でも手抜きや怠惰さと一緒にしてはほしくないですけれど。
人に心を踏み込まれたくない人は…それが心地よいと思う。
そういう面での二人のバランスが、取れてると・・・いいですね。
◇勢いで書上げたので整ってないかも不備あるかも後で修正するかもです。ご指摘嬉しいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その他 とても切ない寂しいって想ったことがあったけど
。。。今日はもう書かなくてもいいかな。。。
ひとりこの想いをぎゅっと抱きしめることにしますv
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