心につけたプロペラ 光の射す方へ
2002年11月20日近頃の私はなんだかひとまわり大きい
背が伸びてよくみえるようになった気分
男ごころとは。。って講義してくれる友がいたり(笑)
男性が書くエッセイを読んだりして勉強したりしてました。
もちろん兄さまが忙しい合間に目を掛けてくれるお蔭もアリvv(照
そしたら今までより よく見えるようになった
見えない語られない部分に気づくようになった
えらそうに聞こえたらごめんなさい。
でも自分一人の考えてに囚われてないで、視野と心を拡げよう〜〜と探索に出てみたら
やっぱり得るものは大きかったと思うのです。
苦しんだり悩んだりするのも全部プロセスで 自分でぶつかって、経験して 考えてみなければわからないと思うのです
だから今苦しんでる人には きっと脱け道が、光があるよっ って伝えたいし
自分もまた陥ったときには、そう思えるように、とひそかに心に留め置きました。
[補足だけど見つけた中でお勧めなのがあったのでリンク貼っておきます。
堤英二さんのエッセイです。有名?(←無知)価値観が近い気がしてヒットでした。
「付かず離れず、傷つかないように、損をしないように、いつでも後もどりできるように。
そんなハンパな恋、ハンパな生き方はしないでほしい。」
同意できない人でも特に38と39は読んでみたらいいと思いますvv勇気が出ますっ(>ω<)
ttp://www.deai.co.jp/access_women.html ]
今まで不安になるたび いろいろ考えて悩んだりして
その度に 兄さまのココロまだ失ってないよね?、と確認するために彼に頼ったりしてたけど
それはなんていうか・・毎回転んだ部分をマキロン塗ってもらって補ってもらってる感じ。
でもそんな手かかるのっていい加減にしないと嫌んなると思うのね。
いつまでも塗ってもらえると思うなー?自分で塗るか、もしくは転ばないようにせぇ〜〜つって。(笑)
何より自分が転んでばかりじゃ体力なくなっちゃうし。
スキーでもそうだよねぇ転ばないように工夫するよねっ
それでたくさん周りをみて、上手に滑ってる人はどうやってるのかなーて観察したり研究したりして。
そうしたらなんとなくわかった気がしたの。
一度コツを掴んだらすいすい〜って自転車に乗れるようになったあの感覚なの。
それは例えば親に反抗しまくってた子がひとたび両親の世代の、彼らなりの愛情の表現を発見して
そしたらあてどなく何もかもが愛情だったんだと気づくような そんな小さな内面の革命。。。だったりするかな、って。
そんな感じで
今私はあらゆることにいっぱい感謝せずにいられないんだ
謙虚な気持ちになると すべてがありがたく受けとめる気持ちになれる・・・こういうのは、自分で気持ちがいい。(笑)
------
あ。ひとつWEBで見つけたのを紹介。
リンクはるのはちょっと恥ずかしい・・・よかったら検索してみて。
「ここに指輪が一つあります。
これを平等に分ける方法があります」
●まー、これって、ちょっとした禅問答ですね。
答えとしては ポジティヴ思考的な考えとか、禅的な粋な答え方もあるのでしょうが
でも、話を極端に飛躍させれば こんな答えもあります。
「限りなく小さくなれば、10臆人だって、
そのひとつの指輪を手にいれられます。」
この魔法の要点は、そういうことです。
対象が指輪でもなんでもそうですが
「自分がそれよりも大きなモノだ」と思う限りは
それより大きな自分が「対象を所有する」という考えになる。
逆にもしも自分がその対象よりも小さくなるのであれば
人は その対象の環(指輪の内部)に入ることで
その指輪を手にしたことになる。
そういう意味では、地球の内部にいる我々は 60臆人とも、地球という指輪を手にいれている。
ただし、それは自分が地球よりも小さいものだと認識している場合に限られる。
●もしも、自分は地球よりも大きい知性をもっている、と思い込んだ者が二人いた場合には
ひとつの小さな指輪を巡る争いが始まる。
●ということで、所有には二つの形体がある。
誰もが際限なく、何かを手にいれられる方法、
つまりは、たったひとつの指輪を全員が得る方法は、
全員とも、指輪より遥かに小さくなることでしょう。
●恋愛に限らず、幸福とかいうものについてもこれと同じことがいえます。
自分が幸福を得るのではなく、
幸福が自分を包含するという形の幸福は、
その幸福に対する所有欲を生むことは決してないから。
逆に幸福よりもそれを得る自分を大きなものとする場合は
簡単にいってしまえば、幸福を「自分の人生のオプション」ぐらいにしか考えていない場合には、
自分の方が常に幸福よりも大きいのですから、
そんな状態では、幸福に圧倒されて、窒息しそうになるなどという楽しい経験は出来ないのは当然です。
また、得た幸福は「自分だけのもの」とも思い込みます。
●これ故に、もしも得たいものがある場合は
その対象に包まれるほどに、自分を小さくする、というのが秘訣ですね。
--------
前日までの空白は。。。ひっそり埋めようかと思います。
ちょっと・・・お惚気日記なので。(漠っ
君という光が私のシナリオ -光-
背が伸びてよくみえるようになった気分
男ごころとは。。って講義してくれる友がいたり(笑)
男性が書くエッセイを読んだりして勉強したりしてました。
もちろん兄さまが忙しい合間に目を掛けてくれるお蔭もアリvv(照
そしたら今までより よく見えるようになった
見えない語られない部分に気づくようになった
えらそうに聞こえたらごめんなさい。
でも自分一人の考えてに囚われてないで、視野と心を拡げよう〜〜と探索に出てみたら
やっぱり得るものは大きかったと思うのです。
苦しんだり悩んだりするのも全部プロセスで 自分でぶつかって、経験して 考えてみなければわからないと思うのです
だから今苦しんでる人には きっと脱け道が、光があるよっ って伝えたいし
自分もまた陥ったときには、そう思えるように、とひそかに心に留め置きました。
[補足だけど見つけた中でお勧めなのがあったのでリンク貼っておきます。
堤英二さんのエッセイです。有名?(←無知)価値観が近い気がしてヒットでした。
「付かず離れず、傷つかないように、損をしないように、いつでも後もどりできるように。
そんなハンパな恋、ハンパな生き方はしないでほしい。」
同意できない人でも特に38と39は読んでみたらいいと思いますvv勇気が出ますっ(>ω<)
ttp://www.deai.co.jp/access_women.html ]
今まで不安になるたび いろいろ考えて悩んだりして
その度に 兄さまのココロまだ失ってないよね?、と確認するために彼に頼ったりしてたけど
それはなんていうか・・毎回転んだ部分をマキロン塗ってもらって補ってもらってる感じ。
でもそんな手かかるのっていい加減にしないと嫌んなると思うのね。
いつまでも塗ってもらえると思うなー?自分で塗るか、もしくは転ばないようにせぇ〜〜つって。(笑)
何より自分が転んでばかりじゃ体力なくなっちゃうし。
スキーでもそうだよねぇ転ばないように工夫するよねっ
それでたくさん周りをみて、上手に滑ってる人はどうやってるのかなーて観察したり研究したりして。
そうしたらなんとなくわかった気がしたの。
一度コツを掴んだらすいすい〜って自転車に乗れるようになったあの感覚なの。
それは例えば親に反抗しまくってた子がひとたび両親の世代の、彼らなりの愛情の表現を発見して
そしたらあてどなく何もかもが愛情だったんだと気づくような そんな小さな内面の革命。。。だったりするかな、って。
そんな感じで
今私はあらゆることにいっぱい感謝せずにいられないんだ
謙虚な気持ちになると すべてがありがたく受けとめる気持ちになれる・・・こういうのは、自分で気持ちがいい。(笑)
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あ。ひとつWEBで見つけたのを紹介。
リンクはるのはちょっと恥ずかしい・・・よかったら検索してみて。
「ここに指輪が一つあります。
これを平等に分ける方法があります」
●まー、これって、ちょっとした禅問答ですね。
答えとしては ポジティヴ思考的な考えとか、禅的な粋な答え方もあるのでしょうが
でも、話を極端に飛躍させれば こんな答えもあります。
「限りなく小さくなれば、10臆人だって、
そのひとつの指輪を手にいれられます。」
この魔法の要点は、そういうことです。
対象が指輪でもなんでもそうですが
「自分がそれよりも大きなモノだ」と思う限りは
それより大きな自分が「対象を所有する」という考えになる。
逆にもしも自分がその対象よりも小さくなるのであれば
人は その対象の環(指輪の内部)に入ることで
その指輪を手にしたことになる。
そういう意味では、地球の内部にいる我々は 60臆人とも、地球という指輪を手にいれている。
ただし、それは自分が地球よりも小さいものだと認識している場合に限られる。
●もしも、自分は地球よりも大きい知性をもっている、と思い込んだ者が二人いた場合には
ひとつの小さな指輪を巡る争いが始まる。
●ということで、所有には二つの形体がある。
誰もが際限なく、何かを手にいれられる方法、
つまりは、たったひとつの指輪を全員が得る方法は、
全員とも、指輪より遥かに小さくなることでしょう。
●恋愛に限らず、幸福とかいうものについてもこれと同じことがいえます。
自分が幸福を得るのではなく、
幸福が自分を包含するという形の幸福は、
その幸福に対する所有欲を生むことは決してないから。
逆に幸福よりもそれを得る自分を大きなものとする場合は
簡単にいってしまえば、幸福を「自分の人生のオプション」ぐらいにしか考えていない場合には、
自分の方が常に幸福よりも大きいのですから、
そんな状態では、幸福に圧倒されて、窒息しそうになるなどという楽しい経験は出来ないのは当然です。
また、得た幸福は「自分だけのもの」とも思い込みます。
●これ故に、もしも得たいものがある場合は
その対象に包まれるほどに、自分を小さくする、というのが秘訣ですね。
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前日までの空白は。。。ひっそり埋めようかと思います。
ちょっと・・・お惚気日記なので。(漠っ
君という光が私のシナリオ -光-
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