独りということ

2003年1月29日
寂しがりっていうことや
孤独ってことを
最近、宙や周りで耳にすることが多くって
 
また ’一人が淋しい淋しい’という人や
’恋をしてるから、してないときより淋しい’、っていう人もいて
 
”寂しい”ってなんだろ、と考えてみてた。
 

「孤独を感じたとき、どうしますか?」

と問われたので
自分のこと孤独って思うのは、どこか傲慢な気がすると思った。


そういうみんなの言うことを聞いてたら
なんだか単に自分が満たされない不満を述べるのに「寂しい」って言葉使ってる気がしてきて
『寂しいって要するに’満たされないー”て吐露してるってことじゃない?』
と言ってみた(勇気あるなー汗
 
そしたら広辞苑に本当にそう書いてあった。
 ?欲しい対象が欠けていて物足りない。満たされない。  [第五版]

じゃぁあんまり寂しいと連呼しちゃうのって
さもしくてみっともないことなんじゃないかなって気がしてきて
実際、耳にしてみたらそういう感じを受けるような気がする。
 
 

英語表現の I miss you. は
あなたがいなくてさみしい、て気持ちを簡潔に表す日本語にはない表現だってよく言われてるけど
それがもし
”もともと二人で完全体であったのに、そこからあなたが欠けてしまって、
だから私は物足りなく心細く思う”ってことなら
なんて素敵な表現なんだろうって思う。
 
 
けれど それを使う場面は
例えば電話の終わり、普段ならI love you.と締めるところに
離れているため I miss you.と言ったり
手紙の最後に付け加えてみたり
それはなんというか、自分の満たされなさを押しつけるのではなく、
純粋な相手への愛情だと思うのだ。
 
”私はあなたのことを私の大切な半身だと思ってます”
”あなたが欠けていることが 私にとって重大なことなんです”
そう伝えてあげるのは、礼儀正しい相手への愛なのだと思えるんだ。

もちろん人によって、ケースによっては 
”私がこんな寂しいのはアンタのせいなんだから何とかしてよ!”って気持ちでこの英語表現を使う人もいるかもしれないけど
でも言語感覚として、
「寂しいの」って連呼するのとはやっぱりどこか違う気がする。
それともこんな感覚もつのは私だけなのかな。
  
  

わびさび ってあるけれども
侘や寂が尊ばれるのは その閑寂な貧しさの中に
趣深い奥深さと豊かさがあってこそだ。
日本人は貧しさの中に豊かさを見つけることができるんだと思う。 

それが貧しいままでは
独りであることに深さと豊かさをみつけないままでは
寂はとても貧しいものになってしまう。
人間に深みは与えられないだろう。

  ・・なんだか難しいこと書いてる。(笑)
 
 

「人は一人では生きてゆけません。必ず他との関係を持ちその関係を深くさせる事で砦を作り、その他からとの安全圏を築きます。」

ああ、なるほどーって思った言葉だった。
みんな 怖いんだ。って。
みんな必死で 守られていたくて いつまでも  
 
 
 
 


瑠姉さんが書いてた。
 
『寂しさと 孤独って違いますね。
人恋しいのと 孤独も違う。 
孤独ってのは 自己愛だと思います。 』
 
 
私はだからこの人を尊敬する。
 
 
 
 
 

私だって怖い
世界は甚大で競争ばかりで熾烈で恐ろしい。
時間は容赦なく過ぎていく
その中で一人で生きて一人で死んでく。

だけど あなたが 寂しいと訴える その人も
やはり寂しくて
独りで闘って 今までもそこにいて
これからもそこにいてくれるんだってことを。
 

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