コントロールドラマの罠2 −犠牲者 The Poor Me−
2003年3月7日第一回目は12月17日付。
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コントロールドラマの中で
最も受身的でわかりにくいものが、この犠牲者になる戦術である。
犠牲者の罠にかかると、すぐにそれとは察知できなくとも、なんとなく不快で逃げ出したいような気持ちになる。
それは相手の同情を買う特殊な会話に無理やり引き込まれて、こちらのエネルギーを吸い取られてしまうからである。
それは例えばこんな風に行われる。
「機能電話をくれると思ったのに、くれなかったわね」
「私が酷い目に遭っていたのに、あなたはいなかったのよ」
さらに追い討ちをかける人になると
「この先、どんなに悪いことが私に起きてもあなたはその時いてもくれないんでしょうね」
相手の間柄が何であるかによって、話題はさまざまである。
仕事関連であれば
”仕事が厳しすぎる”、
”閉め切りが近いのに誰も手伝ってくれない。”等
ただの知り合いであれば、
いかに自分の生活がうまくゆかないか、恵まれてないか
こんな酷い目にあったんだよ、
という一般的な話に引き込む。
話題は多種に及ぶが、戦術は同じである。
必ずそれは同情を引き、自分にも責任がある、とあなたに思い込ませるような罠をしかけているものである。
巧みな会話術により、相手の目を通してその人の世界を見るようになり、そうすると私達はなんとなく自信をうしなったようで平静でいられなくなり、理由もなく不確かな罪の意識や疑問を感じずにいられなくなる。
犠牲者は、そうすることによって私達のエネルギーを奪い取り、自分の安定を確保するのだ。
*原因*
犠牲者によるエネルギー争奪のドラマは
ほぼ無意識に本人の自覚なしに行われていることが多い。
それはその人の世界観と、幼い子供時代に身につけた他人をコントロールする戦術から来ている為だ。
犠牲者にとって世界は「自分の幸せと成長に必要なものを満たすために他人をあてにすることのできない場所」であり、
「自信を持って自分の必要を直接要求する危険を冒すには あまりにも恐ろしい場所」なのである。
その為、犠牲者にとって唯一合理的で有効な行動様式が
罪を意識を押し付け、自分は被害者なのだと訴えて同情を買い 要求を獲得することになってしまうのだ。
けれど この手段を使っていると
時にはキビシイしっぺ返しを食らうため
世界はますます犠牲者自身が自分で作りだしているようなものであることを証明し続ける羽目に陥る。
犠牲者は知らぬ間に、悪循環をはまっていく。
*犠牲者への接し方*
このドラマを打ち切る、最も手っ取り早い方法は
この会話の目的がエネルギーを勝ち取ることが目的であることを見抜き、相手の望むエネルギーをさっさと与えてしまうことだったりする。
けれど、それによって奪われてしまったエネルギーは順当であったか、つまり罪悪感をあなたが感じる必要があったかどうか、考えてみるといい。
私達の人生には、誰かをがっかりさせてしまって申し訳ないと思う場合や
困難な状況にある人に同情する場合もたくさんあるが
そう思うかどうかは、自分で決めるべきであって、他人に決められるべきものではない。
助けを必要としている人をいつ、どの程度助ける「責任」があるかどうかは
私たち自身にしか決めることはことはできない。
その為、相手に本能的に反発してしまいたくなるが、そうするとますます相手から手痛い反撃を食らってしまいもする。
徹底的な強者でないと勝てないし、犠牲者はそのような強者をターゲットにしてはこない。
それで、犠牲者にまず欲してるエネルギーを与えてしまって相手が落ち着いたらば
そこでこのコントロールドラマを打ち切ることができる。
つまり、このドラマの罠を指摘するのだ。
「私の所為だとあなたは思っているみたいに聞こえるけれど」
相手は無意識のこのドラマを続けることができなくなってしまう。
けれど、時により、相手によっては
これを指摘されることで、自分を拒絶されたと受け取り
ますます被害者振りを発揮することもあろう。
「あなたが私のことを嫌いなのはわかっていたわ」
だから、これを行うには
相当の勇気と誠意、辛抱強さ、
真摯にこの状況を何とかしようと思っているということを相手に訴える必要がある。
すなわち相手にずぅっとエネルギーを送り続けなければならないし、途中でうまくいかないこともままある。
けれど相手との望む関係を作りたければ その辛抱強さ、愛情が必要なのだ。
逃げずに続ければ
相手はこの罠の悪循環に気付き、より深く自分自身に近づいていけるだろう。
Ref: James Redfield, The Celestine Vision,1997
++私個人のコメント++
それでも失敗すること多々あり。
そしてエネルギーを送った後は自分自身が不安定で気持ちが悪い。
たいてい私は相手に勝つことができないので、反撃して相手をへこまし、逆に相手からのエネルギーを得ることに成功しないためだ。
その為、やつあたりしたくなったり、他の誰かに助けを求めて補填しようとしてしまう。
けれど、何も知らず(このドラマの罠に気付かず)やられてしまうよりかは
気持ちの持って行きどころが全然違う。
少なくとも自分が他人へ被害を振りまいてしまうのに歯止めが利く。
こういう人に対しては
逃げるのにも向かい合うのにも相当の気力が必要で、相手に愛情がなければやっぱり冷たい態度で放り出してしまいたくなる。
だから そういう人はだんだん避けられ
ますます孤立し被害者化していく・・・ような気がする。
どこかで止めなければ被害は肥大する。
自分には関係ない、関わりたくない、と他の誰かの愛情が与えられるのを待っていては
いけないような気がする。
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