ちっぽけなあたし

2003年3月8日
ようやくまともな精神状態に戻って
 
ずっとお休みしてた他の方の日記なども読ませていただくようになって廻っていたら
ふと立ち止まってしまった個所があった。

その方のはやはり恋愛ジャンルで書かれていたものだったのだけど
別れてしまうかもしれない彼氏の前で泣くことをけなげなまでの努力で抑えてて。
 
追いすがったりしないで。
イイ女は涙を見せない、頼らない、みたいな気概で。
 
ああ、そうだったかな。すごいな立派だなぁ
私こんな気概を忘れていたかもしれない
なんて感心して、そして掌に汗で読ませていただいた。
 
 
 
泣いてしまったら。
相手を困らせるのはやっぱりわかるし。
涙で吊ろうとしているみたいでズルイ、って感覚は まともな女の子ならあると思う…
それはこないだ書いたような、相手の決定権を奪う脅迫手段のひとつかもしれない。

 
 ほんとうに決まっていることなら
 泣いたくらいで 変わりはしないことも 同時に知っているけれど
 
 
 
そしたら 日々そういう気概で、彼に弱いトコ見せずがんばってる彼女たちからしてみれば
ぴーぴー遠慮なく泣いたり、泣いてあやしてもらったり、っていう記述を見つけたら
結構不快な気持ちするのかもしれないな、って思い当たった。
 
 
弱ぶって
 ずるい
   情けない
     甘えてる 
      毅然としてない 見たくない 
そんなところだろうか・・・
自分が抑圧して、しないで心掛けてる事を誰かがしてるの目の当たりにすると脊髄で反応してしまうもんだし。


 
 
で、遠慮なく泣いてた方の自分の日記を思い、そこからいろいろ思いを巡らせ
こんなことを思い至った。

 

泣いてること自体じゃなくっても、”自分と違う”ってことを主張されていたり
自分が抑えてしないようにしてることを当然のようにしてるのを見たとき
やっぱり微かないらだちを感じてしまうだろうなぁ、と。
 
 
 
 
人間誰しも自分に同意してほしい欲求があるものだから
同じような考えの人を見つけると、嬉しい。
社会的にも、同じような考えの他人と群れを成して自己の安定を求めてしまうものらしい。
 
 
 
違う主義の人に出会った時、考えの相違に触れた時、
相手が自分より強い立場なら 同意したフリでへつらい
同等くらいだったら 理解したフリでスルーし
弱い立場なら ヒステリックに排除または矯正しようと
してしまう・・・ものかもしれない。

 
 
直接本人に言わなくっても批判的な意見を持つこともあるし
徹底的に虫が好かない、となったら無視を決め込んでしまったり

もし 相談を受けたり、自分が自信を持って意見を言える機会があるとしたら
無意識に相手の考えを自分と同じモノに近づけようと
または そうなったらいいのに、と願ってしまう・・・と思う。

 
あ、それが悪いと言っているわけではなくて。
 
自分一人の考え方って案外狭いものだから(というと男性諸氏は気に入らないかもしれない)
違う外の空気を入れることは 有益なことだとは思うのだけど(再び男性には有害と受け取られるかもしれない)


 
だけれど
違う意見を目の当たりにして ましてや相手が飄々とそれに気付かず享受していたり
のうのうと大きな顔してはびこっていたりする場合があると
どうしても感じてしまう いらだちみたいな疼きは
こっから来ているのかな、
つい暴力的に言い捨ててしまいそうになるのは
やっぱり”自分が正しいんだ”と主張したくなるからかな、と
考えてみました。


 
 
 
 
 
 
 
 

同意してもらうことって どうしてこんな快感なのかな。
人って弱くて愛しい
なんて思ってしまう。
 
 
 
なのにそんなちっぽけな存在なはずなのに

相手の話を聞くときに、批判したり矯正しようとしたり(言葉尻はどうであれ)、
自分がまた逆に批判されたときに 一切言い訳しなかったりする 潔い大きな人もいて。

 
自分の小ささに思いを馳せてみました。
 


 
無意識にしてるところもきっとあると思うけれど。
自覚ありでやってしまったら後から落ち込むんだけど。

でも たとえ自分に向かって嫌な、マイナスの攻撃がきても 
自分からは相手にプラスの、思いやり溢れるレスポンスで返せるように
 
いつだか紹介した、天使の見方をできるように
そういう自分でいられるよう
がんばりたいと思った・・・
  

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